岩井圭也日誌

小説を書いています。2018年夏頃にデビュー作『永遠についての証明』刊行予定。岩井圭吾とも。

「共感」だけが選択肢じゃない

 本格的に出版業界へ足を踏み入れていない、つまりまったくの門外漢である私でも、「本が売れない」という言説はよく耳にします。(ちなみに、その言説に対して真っ向勝負を挑んだのが、過去記事で紹介した『拝啓、本が売れません』です)

 そんな出版業界にあって希望の光として報じられたのが「文庫X」でした。

 さわや書店という東北の書店からスタートし、やがて全国へ展開したこの企画。ある文庫本に推薦のコメントを記したカバーをかぶせ、書名や著者名を隠して店頭に並べるというのがその概要です。企画は大きな話題を呼び、様々なメディアで取り上げられ、著作は30万部を超えるベストセラーとなりました。

 その企画を発案した書店員が『書店員X』(中公新書ラクレ)の著者、長江貴士氏です。

 本書には「文庫X」を仕掛けるに至った経緯や著作の魅力のほか、小売業の生き残りへの展望、長江氏が抱えてきた「常識」への違和感、さらには「自由」を獲得するための方策と言ったことまで語られています。

 タイトルからは出版業界におけるマーケティング戦略や書店員という仕事のありようが内容の中心と思われるかもしれません。もちろんそういった側面もありますが、本書では著者が培ってきた哲学が披露され、生きづらさを抱えるすべての人へのメッセージとなっています。たとえば、本書には以下のような一節が登場します。

 

 うまく関われなくてもいいから、まずは「他者」を排除しない、というところから始めてみましょう。「共感できないもの」「未知のもの」として、「本」と「他者」という選択肢が残ってくれることを期待しています。

 

 著者は、自由を得るためには共感できない、あるいは未知な存在である「他者」が必要だと主張します。そしてその「他者」を好きになれなかったとしても、嫌いにはなる必要はないという考えも提示されます。これは非常にまっとうな考え方だと感じ、そして似たことを別の本でも目にしたのを思いだしました。

『白い衝動』(呉勝浩、講談社)です。

 『Ank: a mirroring ape』と大藪春彦賞を同時受賞した本書は、スクールカウンセラーの奥貫千早が主人公。ある日、千早のもとに高等部の男子生徒・秋成が現れ、みずからの身の内に潜む殺人衝動を告白します。秋成に理解を示そうとする千早ですが、次第に彼の殺人衝動が<本物>であることを思い知らされることになります。

 一方、千早の住む町に、かつて残虐な事件を起こした男・入壱要が暮らしていることが明らかに。恩師との対立や夫との関係性の変化などが複雑に絡み合いながら、物語は加速度を増していきます。めまぐるしく変化する状況とストーリーテリングの妙が凄まじく、読了直後にもう一度再読したくなりました。

 この物語の終盤、千早とその妹がこんな会話を交わします。

 

<まさか。モモがいない生活なんてありえないし。ま、ムカつくけど旦那もいていいかな。お姉ちゃんも、いてもいい>
「何よ、それ」
<そんなもんよ>
 そんなもんか。

 

 「いてもいい」という考え方は、まさに長江氏の語る「他者」を排除しない、という思想と共通します。共感できないもの、未知のものを排除しない。引きこもりを経て名物書店員となった長江氏も、人間の底に眠る凶暴な衝動と向き合う千早も、願いは根底で通じているのではないでしょうか。
 その考え方は、生活を豊かにする手段のひとつになるかもしれません。