岩井圭也日誌

小説を書いています。2018年夏頃にデビュー作『永遠についての証明』刊行予定。岩井圭吾とも。

売りたい本、売れる本

 2018年3月現在の私は、「受賞」はしたけれど「デビュー」はしていない、という微妙な状況にいます。
 受賞報告をした際にはたくさんの方から祝福の言葉をいただいたのですが、まだ名刺代わりの著書もなく、それどころか小説家としての名刺そのものも作っておらず、基本的には投稿に向けて書いていた頃と何ら変わらない生活です。出勤前にせっせと小説を書き、行き帰りの電車で本を読む毎日が続いています。
 書店で『拝啓、本が売れません』(額賀澪、KKベストセラーズ)を手に取ったのは、TwitterのTLで毎日のように購入や読了の報告、熱い感想が寄せられているから、というのがそのきっかけでした。しかし本書を読み終わった今、このタイミングで読むことになったのは<必然>だったと思わざるを得ません。
 それくらい、この一冊は私に必要なものだったのです。

 

 一章の『小説ができあがるまでに作家と編集がやってること』は個人的に「これを待っていた!」という内容でした。
 私は苦難の先にある自分を想像することでハッピーな気分になれる性格です。受験生の頃に最も楽しみにしていたのは、通信教育の冊子に掲載されている「先輩大学生のキャンパスライフ」であり、就活生の頃に最も楽しみにしていたのは、各企業の採用ページに掲載されている「先輩社員の社会人ライフ」でした。
 作家未満の私にとって、先輩作家の仕事ぶりを知ることができたのは望外の喜びです。
 ただし、本書の本質が明らかになってくるのは二章以降から。

 

 昭和末期に生まれた私はゆとり世代の初年度にあたります。先輩からは「これだからゆとりは」と言われ、後輩からは「でも昭和なんですよね」と微妙に距離を置かれるという経験をしてきました。ど真ん中というわけではないですが、予定通りに刊行されれば、いずれ私も晴れて糞ゆとり作家の仲間入りです。
 そんな糞ゆとり作家予備軍の私は、売れるか売れないかなど爪の先ほども考えず、能天気に書きたい小説を書き散らしてきました。一介の素人が失敗作を新人賞に投稿したところで何の損失もありません。落選して終わりです。社会的責任がないのをいいことに、少しでも面白いと思えば、勢いだけで書き上げるというスタイルで続けてきました。
 しかし、製品として市場に流通するとなると話は別です。
 売れなければ次の仕事はない。でも、書きたいのは売れる本ではなく、売りたい本である。
 まだ最初の本も出ていないのに、本書を通じて私までこの葛藤に苛まれました。

 

 本書の取材対象者は口を揃えて「面白いものを書く」ことが最も重要であると語ります。読みながら、「真似しいはすぐに飽きられる」ということも結構共通しているな、とも感じました。おそらく皆さんが考えていることは、根幹の部分では同じなのでしょう。
 結局、作家にできることは「面白いものを書く」ことに尽きる。売れる本をつくる努力ではなく、売りたい本を売るための努力をしよう。受賞直後にそう思えたのは、とても幸運なことに違いありません。
 強く勇気付けられる一冊でした。